当たる占いと言えば血液型占い

日本で1番身近な当たる占いと言えば血液型占いでしょう。誰もが持っている血液の型で、A型は真面目である、B型は陽気で目立ちたがり屋など、血液型を話しただけで性格がイメージされてしまうほど、血液型占いはここ日本では特に広まっています。しかし始まりのきっかけは何だったのか、本当に当たるものなのか、まとめてみました。

当たる血液型占いのはじまり
そもそも人により血液のタイプが違うことが分かったのはオーストリアのラントシュタイナーによって発見されました。20世紀に入り、輸血の副作用の研究をしていて分かった結果です。
当初血液型はABO、AB型の四種類でしたが、今ではMN式やQ式、RH、S式など様々な種類があることが知られており組み合わせると大変な数です。
日本で血液型が広く国民の間に知られるようになったのは、第二次世界大戦中のことです。戦争で怪我をした人を輸血で助けるには国民一人一人が血液型を知らなければならない必要がありました。日本人の場合A型が約40%、B型が約20%O型が約30%、AB型は約10%となります。
その後人の性格が血液型によって違うのではないかという考えがフランスのレオングーデルによって考え出されました。日本でもこのころA型は陰気でB型は陽気、O型は剛気、AB型は天才などという噂が出回っていたと言います。自分は何型だという個性が分かった嬉しさと、他人とは違う型があるという驚き、そう言えばA型のあの人とあの人はいつもおとなしいというイメージが出回り、そうした考えから当たる血液型占いに発展したと言われています。

当たる占いと信じすぎて
このように戦後の日本では血液型占いが大変流行しました。
当たると信じていた人も大変多く、ある企業はうちはB型の人間以外は採用しませんという人事政策を出したり、幼稚園のクラス分けを同じ型の子供たちが集まらないように血液型でクラス分けを行うと言った例まで登場しています。学校でも落ち着きのないクラスはB型の人間が多いからだ、頭の良いクラスはAB型が多数在籍しているからだという噂が広がりました。
今では血液型には細かく分けると数百種類あるというのに、当時は4つの血液型のパターンを信じ込み性格もしっかり4つのパターンで分けられるという事が信じられていました。無茶な話であり到底すべてが当たる占いとは思えないのですが、当時はそう思い込んでいた人が多数だったのです。
またこの血液型占いは人種差別の目的にされていたことがありました。アメリカなどでは黒人に多い血液型を蔑んだりいじめの対象にされたり、当時の日本でも外交官にはO型が合ってるという説を真に受けすぎて、血液型が違う外交官の卵が自殺した話もあります。どれも悲惨な事です。

当たる血液型占い、楽しもう
その後やっと人間の性格は四つにしか分かれる事はない、血液型は数百種類もあり色々な性格がある、という考えが広まってきました。
しかしそうなるとA型のRH+の人はこうした性格だ、-の人はこうだ、など、また新たに形を変えて血液型占いは流行ってきました。星座を組み合わせた考え方、男女の違いも含めた考え方で血液型占いが廃ることはなかったのです。
また日本人特有の血液型占いの付き合いがあるのも分かってきました。それは人と会う時に初対面だったり緊張する場面で、この血液型うらないの話題を持っていくと会話が盛り上がり緊張がほぐれるという話があります。それほど日常会話に血液型うらないの話題はのぼりやすく、人とコミュニケーションを取る時の手段としても使われているのです。もはや当たる、当たらない、ではなく、血液型の性格とはこうだ、という考えが浸透しているのが分かります。どこでも簡単に話題にできるし、あなたはO型?などと質問して意外に当たっていることもしばしば、この辺の軽さが血液型うらないの人気なのであり、今後も続いていくことでしょう。